若き苦悩   

2017年 10月 06日

本日、家に帰ってくると、rinの元気がなかったらしい(inazuma談)。
体調が悪いのかというと、さにあらず。なにやら真剣に悩みを抱えているのだとか。

よくよく事情を聞いてみると、今日、忘れ物の確認係のリーダーに任命されたのだとか。どうも、クラスの忘れ物状況が芳しくないらしい。で、リーダーの責任を発揮すべく、係りの級友と対策を講じたらしいのだが、それが「3日連続、あるいは1日に3つの忘れ物をした場合は、外遊び禁止」というルールの発令だそうな。

基準と罰則のバランスはほど良く、小学三年生が考えた策としては、上々ではないかと思うのだが、本人はそれが悩みの種だと。本人いわく、「自分は良かれと思って決めたけど、本当にこれがみんなのためになるのか、本当にこれで良かったのか」と悩んでいるらしい。自分のことに汲々としている大人たちがいっぱいいる中で、なんとも見上げた心がけだと、思いっきり褒めておいた。そのうえで、「忘れ物を防ぐという、いちばんの目的を忘れなければ大丈夫だよ」とアドバイスをしておいた。

自分が小三だった頃と比べても、大したもんだと感心しきり…。

で、ふと思った。こういうのが教養というのではないかと。自分の思考や判断のあり方を越えたところに思いを馳せる力こそが教養だろう。自分なりの価値観のもとに、自分の主張を一方的に述べ立てるだけなら、教養はなくとも、多少、弁の立つ者なら出来る。いまの政治家は、このタイプが多いのかもしれないね。

あと、自分なりの教養の定義を付け加えると、答えを知らない、自分でもよく分からないことに対しても、何らかの考えを導き出せる力を教養と呼ぶのだと思う。断片的な知を即座に組み合わせて、当面の課題に対応していくことができるかどうかで、人間の懐の深さというか、幅の広さが決まってくるのだろう。その「深さ」や「広さ」が教養だ。

最近、若い人たちが、何かあるとすぐに「キショッ!」というのが気になる。言葉そのものは「気色悪い」の省略形だろうから、対象を忌避すべき受け入れがたいものと捉えていることを表すのだが、当人たちは、それほど強い意味で使っているわけではなさそうで、“なんか違和感がある”ぐらいの時に、「キショッ!」というのだ。
でも、これは良くない。なぜなら、自分の感性や価値観の枠外にあるものを、「キショッ!」と否定する心からは広がりや深さは生まれないからだ。だから、「キショッ!」はやめたほうがいいよ、若い人たち。

rinは、いまのところローマ字のルールが、イマイチ正確に理解できていなくて、ちょくちょく間違えるのだが、ローマ字なんざ単なる知識だから、そのうち書けるようになる。それよりは、今日のように、深くて広い心を忘れない大人になってほしいと切に願う今日このごろである。

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by ina-elise | 2017-10-06 23:08 | 家族 | Comments(0)

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